日タイ津波被災者救援プロジェクト
2004年12月のプーケットの津波と2011年03月の東日本大震災で被災した子どもたちへのタイ・バンコクでのとり組みの紹介です。
日タイ津波被災者救援プロジェクト「希望への心 Heart for Hope」
タイ最大のスラム地区クロントーイに暮らす子どもたちを支援するためにアジアのノーベル賞「マグサイサイ賞」を受賞したプラティープ先生が1978年に設立したドゥアン・プラティープ財団が先頭に立ち、2011年3月11日に発生した東日本大震災被災者のために募金活動などを行い、これまでに総額50万バーツほどの寄付をし、復興事業の応援をしてきました。
震災から1年が経つ3月10日11日にはバンコクのセントラル・ワールド内で日タイ津波被災者救援プロジェクト「希望への心 Heart for Hope」の一環として、タイ内外のアーティスト協力の下、絵画展示会を開催します。絵画販売などでの収益金は、2004年12月のプーケットの津波孤児と東日本大震災の孤児を招いて開催予定の交流キャンプに活用されます。キャンプでは交流だけでなく、心のケア、未来への一歩を踏み出す後押しをするためのプログラムなどが実施されます。
現在でも財団では参加アーティストと絵画をプロ・アマ問わずに募集しています。興味のある方はぜひご連絡ください。開催前日まで受け付けています。
また当日、お近くにおいでの際はぜひお立ち寄りください。
主催 : ドゥアン・プラティープ財団
日時 : 2012年3月10日〜11日 11:00〜18:00
会場 : セントラル・ワールド3階(ZEN寄り)※区画が変更になる場合があります。
問い合わせ : 02-671-4045〜8、dpffound@ksc.th.com(日英タイ)
銀河新年
สวัสดีปีใหม่ ขอให้ทุกท่านมีความสุขครับ
〈直訳〉新年こんにちは 願わくはみな様がご健康をもつこと。
昨年,タイから投函した年賀状が日本に着かなかったこともあり,忘れられた存在になってしまったようですが,元気にやっております。
六〇歳を過ぎたらタイへ行こうと云うことで,タイでしばらく生活をしてきました。タイ滞在中に何度かパスポートの更新のためにタイを出国しカンボジア,ビルマ,ラオスへ行きました。タイへ再入国してはイミグレーションにも出向きました。そのようなときには,当たり前のことですが近隣諸国の出稼ぎ労働者の人たちと一緒にとり扱われました。また,タイをふくめ周辺国にはさまざまな民族がおり,同じ族でありながら行政に分断されている民族もいます。国境付近での少数民族にたいする対応とういものに銃剣を見てちょっと寒いものを感じました。これが難民だったらどうなるのだろうなどと思っていて,確定申告のために帰国したら地震にあいました。原子力発電所の爆発を見たときに,日本人はこれから本当の難民になってしまうのかなと薄ら寒いものを感じました。
昨年の日本の秋の頃ですが,タイで洪水にあいました。毎年のことですが,昨年は日本企業も被害にあったということで日本でのニュースになりました。洪水の被害にあわれた方には失礼ですが,洪水は三ヶ月もすれば方がついてしまいます。
電気とビールしか売るものがないというラオスがとても好きになってしまいました。ルアンパバーンという世界遺産になっている街などもありますが,しゃかりきに観光をして歩くようなところのない素敵な国です。
何歳になっても,興味・関心があればなんとかやっていけそうです。今年もよろしくお願いします。
ビエンチャンの旅 カフェにて
セーターティラート通りのナンプ広場界隈のカフェにて,ラオス珈琲を飲みながら・・・。
ビエンチャンの旅 ビアラオ
夕陽見物の客をねらった屋台,タイと同じく日常の夕飯を提供する屋台が混在してファーグム通りにならんでいる。1軒の屋台でのチム・チュム鍋である。ビールは,ビアラオ・ダム(黒ビール)を飲む。この晩のこの店の客は小生だけだった,店に座って気がついた。車やバイクのマフラーの位置と小生が地べたに座った顔の高さが同じだった。おまけに車が渋滞する地点だったのだ。
ワット・オントゥの僧坊前のビライラックというレストランで,看板に魚の絵が描いってあったので,ラープ・パーが食べられると思い入ってみた。ラープ・パーのプラー〈魚)は鯰を使うはず,ラープ料理というと肉が一般的であるが,息子の嫁にプラー・デゥク〈鯰)を教えられてからプラー・デゥクを好んで食べるようになった。竹籠に入った蒸したもち米をひとつまみとって丸めてラープ・パーと口に放り込む。ビールはビアラオの大瓶である。
ああ,タイ語とラオス語のチャンポンだ。プラーはタイ語,パーはラオス語で,両方とも魚の意味である。
ラオスの朝は,あちこちの通りでビアラオのトラックを見かける。ラオスが社会主義国家であることをわすれてしまうBeerlaoのある風景である。
朝の飲食店,酒屋,雑貨屋の前には,ビアラオの空瓶が入った黄色い連絡ケースが積まれている。ビアラオの社員は一軒一軒,空き瓶を回収して今日の分を納品していく。
●ビアラオを飲んで思うこと
コンビニでビアラオの大瓶(640ml)の定価をみてびっくりした。8000キープ,桁が多いからではない。邦貨にすると80円なのである。レストランでも,表の看板には10000キープと書いてある。ビエンチャン市内の大方の飲食店のビアラオの大瓶の相場は100円である。小生の好きなビアラオ・ダム(黒ビール)の330mlの小瓶も,他の小瓶と同じく小売6000キープである。
ラオスの物価はタイに比べて高い気がする。電気とビール以外は輸入品であるからしょうがないのかも知れないが,それにしてもビールは安い,美味いと思う。沖縄で飲むオリオンビールのようなものかな。
であるからして,ワット・ミーサイあたりのゲストハウスに泊まって,ちょっと食べてビールを飲んで100000キープ以上取られたらボラれているかも・・でも,日本円にしたら大したことはないですね。だけど,ボッタクリした人は大金だと思ってるんですよね。
ビエンチャンの旅 パッソン
早朝のファーグム通りで,パッソン〈僧侶)の集団が通るのを舗道に座って待っている婦人たち。
サイバーッ(托鉢)のようす。婦人たちが喜捨するものはパッソンの食事,ご飯は蒸かしたもち米である。
サイバーッを見るには5時に起きなばである。6時には,僧侶はお寺に戻ってしまっているから。
子供たちが学校に行くころは,朝のお勤めも終わってパッソンたちは解放される時間なのだ。
ラオスのパッソンたちは,タイ製のこの折りたたみ傘を持ち歩いている。雨の降らない寒季のときも持ち歩いていたので不思議に思っていた。街の中心部では見かけなかったが,町をちょっと離れると日傘がわりに使っていたのだ。
パッソンのキットさんと小生。大学生のパッソンである。