漱石を読む。

 連休中,家内の両親が遊びに来ている。義父は95歳,杖をついて歩けるが一〇〇米を歩くのがようやくである。歩くことを億劫がるが,外の風景が好きなようなので毎日町内をドライブしていた。今日は,志乃多寿司のおいなりさんと近江屋へケーキを買いに神田淡路町へ長距離ドライブをした。

 両親は,夕食を済ますと寝てしまうので,合間に,「三四郎」,「それから」を読む。で,「門」を含めて,漱石の初期三部作を読み終えた。「三四郎」,三四郎は振られ,てっきり原口と結婚すると思って読んでいた美禰子は「夫」だけで作中には一度も登場しない人物と結婚してしまった。「それから」を読み終え,三千代のそれからはどうなったのと思ったとき,「門」の御米のことから,ああ,漱石のこの初期三部作は,「歌仙」だったのだと思った。漱石は,何かの作品で女性を「親の作った盆栽」といっていたが,美禰子は盆栽と思えなかったので,何か欲求不満にさせられたが「門」でややすっきりした。(「こころ」で揚げ句になるのであるが。)

 義父は,小生の家内の名前,ようするに娘の名前を完全に忘れている。小生のことはもちろんである。盆栽が生き甲斐の人だったので,盆栽屋に連れて行ってみた。義母が視角からから消えると義母の名前をしきりと呼び,盆栽は見ていない。夫婦って何なんだろう。人間って何なんだろう。