宮沢賢治の文語詩「庚申」

おとつい,仕事中に宮沢賢治の文語詩「庚申」を訳して,云ふメモがきて,

  歳に七度はた五つ
  庚の申を重ぬれば
  稔らぬ秋を恐(かしこ)みて
  家長ら塚を理(をさ)めにき

その返事を書きました。

賢治の文語詩は,「春と修羅」など自分の心象スッケッチ(口語詩)を晩年に病床で文語詩に書きかへたものです。「庚申」は,おそらく遠野あたりでかいた心象スッケッチの書き変へだと思ひます。文法的な解釈は,ちよつと自信がなゐけれど訳してみました。

「歳に七度はた五つ」は,年に6回ある庚申の日が,年によつて暦の関係で,七庚申とか五庚申と云ふ庚申の日が7回や5回になることがあつて,十一月のお酉様も普通は2回だが三の酉があるやうなものですね。7回か5回の庚申の日がある年は,凶作になると云ふ迷信があると云ふことのまくらですね。

「庚の申を重ぬれば」は,庚(かのえ)の申(さる)で庚申,七庚申とか五庚申とか云はれる年に凶作のがあつたこともあるのでと云ふ意味でせう。

「稔らぬ秋を恐みて」は,稲の穂に実が入らない秋の凶作を恐れてですね。

「家長ら塚を理めにき」は,農家の家長たちは庚申塚を建てたですね。花巻から遠野へゆく釜石線の途中途中に庚申塚を幾つか見たことがあります。庚申の日には徹夜をすると云ふ話もありますね。そのときの常夜灯でせうか。常夜灯がある塚も見ました。


賢治の文語詩は,漢詩で云ふと律詩形式なので,あとの4句を付け足します。

  汗に蝕むまなこゆゑ
  昴(ばう)の鎖の火の数を
  七つと五つあるはたゞ
  一つの雲と仰ぎ見き

「汗に蝕むまなこゆゑ」は,農民たちは農作業の汗で目を痛めてゐたのでですね。

「昴(ばう)の鎖の火の数を」は,昴(すばる)の星団の星が,カシオペヤの星をつなぐとWの文字のやうに見えるやうなことを云つてゐるのか,聖書の「すばる座の鎖」を引用したのかさだかではありませんが,おうし座のところにあるプレアデス星団のことを云つてゐます。昴は和名です。中国の星座で云ふと庚申に当たります。正しくはわかりませんので念のため。

「七つと五つあるはたゞ」は,7つと5つある(肉眼で見えるのが)のが普通なのだがと云ふのでせう。「たゞ」のあとの「なり」が省略されてゐると思ひます。

「一つの雲と仰ぎ見き」は,1つの雲としか仰ぎ見ることができなゐのだな。

で,わからなくなったのが,おうし座がでてきたので,詩に季語は必要ありませんが,冬の情景になりますね。それとも庚申の日に徹夜をしたので昴が見えたのでせうかね。

けふは,8月だと云ふのに寒かつたですね。今年は,七庚申か五庚申の年なのでせうか。